リスボン空港の到着ロビー、1992年夏。29歳の無名の体育教師が、イングランドサッカー界の巨匠ボビー・ロブソンに駆け寄り、こう言った。
「Hello Mister. My name is José Mourinho, and the president has hired me as your interpreter. I hope I can do a good job for you, Mister」
この一言が、後に世界で最も有名なサッカー監督の一人となる男の運命を決定づけた。言語能力への投資が、いかに人生を劇的に変えるかを示す、これは現代における最も感動的な物語の一つである。
言葉への情熱が開いたドア
モウリーニョは1963年、ポルトガルのセトゥーバルで生まれた。父フェリックスはポルトガル代表にも選ばれたプロのゴールキーパー、母マリア・ジュリアは小学校の教師だった。両親から多言語能力を受け継いだわけではない。モウリーニョの語学力は、すべて自らの意志と努力で獲得したものである。
高校の数学で落第し、母に入学させられた商業学校は初日に退学。「スポーツに集中したい」という強い意志で、リスボン工科大学の体育高等研究所(ISEF)に進学した。ここで出会った恩師マヌエル・セルジオ教授から「人間運動学」を学び、スポーツは単なる身体の問題ではなく、心理学、感情、人間科学を包含するものだという哲学を身につけた。
大学在学中、モウリーニョはイングランドとスコットランドのサッカー協会が主催するコーチング講座にも参加。後にスコットランド代表監督となるアンディ・ロクスバラは、この若いポルトガル人の「情熱と細部へのこだわり」に目を見張った。この時期に習得した英語が、彼の人生を180度変えることになる。
ボビー・ロブソンとの出会い——通訳という名の修行
1992年、イングランドの名将ボビー・ロブソンがポルトガルのスポルティングCPの監督に就任した。問題は一つ——ロブソンはポルトガル語を一言も話せなかった。クラブは英語を話せる人材を必要とし、地元出身でサッカーを知り尽くした若き体育教師、ジョゼ・モウリーニョが選ばれた。
ロブソンは後にこう回想している。「彼は空港で私に自己紹介した。とても礼儀正しく、いつも私を『ミスター』と呼んでいた。ハンサムで、感じの良い青年だった」。
当初、モウリーニョの肩書きは「通訳」に過ぎなかった。しかし彼は単に言葉を訳すだけでは満足しなかった。ロブソンの言葉をポルトガル語に訳す際、自分の戦術的見解を付け加えるようになった。ロブソンは気づいた——この若者はただの通訳ではない。
やがてロブソンはモウリーニョに対戦相手のスカウティングを任せるようになった。返ってきたレポートの質にロブソンは驚愕した。「まだ30代前半で、選手経験もコーチ経験もほとんどない若者が、私がこれまで受け取った中で最高レベルの分析レポートを書いてきた」。
「1ヶ月でスペイン語を話せるようになる」
1996年、ロブソンにバルセロナから監督就任のオファーが届いた。ロブソンはモウリーニョの移籍を契約の条件とした。バルセロナ側はスペイン人のアシスタントを提案したが、ロブソンは譲らなかった。
問題があった。モウリーニョはスペイン語を話せなかった。ロブソンが「スペイン語は話せるか?」と尋ねると、モウリーニョはこう答えた。
「いいえ。でも1ヶ月後には話せるようになります」
この言葉通り、彼はわずか数週間でスペイン語を習得。さらにカタルーニャ語も学んだ。バルセロナのジョセップ・ヌニェス会長は彼を軽蔑的に「通訳」と呼び続けたが、モウリーニョはその評価を言語能力と戦術眼で覆していった。
バルセロナ時代、モウリーニョは当時選手だったジョゼップ・グアルディオラと何時間もスペイン語で戦術談義を交わした。グアルディオラは「疑問があれば彼とよく話し合った。アイデアを交換し合ったんだ」と証言している。この時期に築いた人間関係と言語能力が、後の輝かしいキャリアの基盤となった。
イタリア語を「3週間で習得」——言語学習の鬼
2008年、モウリーニョはインテル・ミラノの監督に就任した。ここでも彼は驚くべき言語学習への執念を見せた。
就任会見を前に、モウリーニョは1日5時間、数週間にわたってイタリア語を猛勉強した。そして会見当日、彼は完璧なイタリア語でスピーチを行い、メディアを驚かせた。後に彼はこう語った。
「私は選手、メディア、ファンとコミュニケーションを取るために、何ヶ月も1日5時間イタリア語を勉強した。(当時プレミアリーグで指揮を執っていた)クラウディオ・ラニエリは5年間イングランドにいても、まだ『good morning』と『good afternoon』をうまく言えていなかった」
この皮肉めいた発言には、彼の言語学習哲学が凝縮されている——言語を学ぶことは、その国への敬意であり、選手への愛情の表れである、と。
「The Special One」——英語で世界を魅了する
2004年6月2日、チェルシーFCの監督就任会見。42年の人生で積み上げてきた英語力を武器に、モウリーニョは歴史に残る自己紹介を行った。
「We have top players and, sorry if I’m arrogant, we have a top manager. Please don’t call me arrogant, but I’m European champion and I think I’m a special one.」
(「私たちには素晴らしい選手がいて、傲慢だと思われたら申し訳ないが、素晴らしい監督もいる。傲慢だと呼ばないでほしい。しかし私はヨーロッパチャンピオンで、特別な存在だと思っている」)
実際には「a special one」(特別な存在の一人)と言ったのだが、メディアはこれを「The Special One」(唯一の特別な存在)と書き立て、伝説が生まれた。
マンチェスター・ユナイテッドの名将サー・アレックス・ファーガソンは後にこう書いた。「モウリーニョを脅威と初めて認識したのは、あの就任会見だった。『私は特別な存在だ』と彼は宣言した。『なんて生意気な若造だ』と思った」。
言語は武器であり、愛である
モウリーニョの言語哲学は、単なる実用性を超えている。彼にとって、相手の言語を話すことは共感と信頼を築く最も強力な手段である。
「5つの言語を話せるからといって、私は通訳ではない。しかしコミュニケーションできることは、私にとって大きな助けになる」
「トップレベルのサッカー監督が、複数の言語を話せないことはありえない。フットボールは世界的になった。ロッカールームには様々な国籍の選手がいる。まず、その国の母国語を学ばなければならない。そして選手とより深い共感を持ち、より良いコミュニケーションを取るには、異なる言語に堪能でなければならない」
2020年、トッテナム・ホットスパー監督時代、モウリーニョは韓国語を学び始めた。チームのエースストライカー、ソン・フンミンへの敬意からである。
「コミュニケーションは非常に重要だ。グループと話す時は、全員が理解できる言語を使わなければならない。クラブの文化を尊重し、そこにいる個人の言語を話すことが敬意の表れだ。だから私は韓国語を学んでいる」
選手たちはこの姿勢に心を動かされた。ズラタン・イブラヒモビッチは自伝でこう書いている。「モウリーニョのためなら死んでもいいと思えた。このために命を捧げてもいいと思える人間がいた」。フランク・ランパードは「彼は私たちに、実際よりも優れていると信じさせてくれた。私の自信をかつてないレベルまで引き上げてくれた」と語っている。
「完璧ではない」英語と謙虚さ
興味深いことに、モウリーニョは自分の英語について常に謙虚である。2018年、マンチェスター・ユナイテッドの記者会見で彼はこう言った。
「私はほぼ完璧なポルトガル語から、完璧とは程遠い英語に翻訳しようとしているんだ」
この自己認識は、語学学習者にとって重要な教訓を含んでいる。
完璧を目指す必要はない。コミュニケーションできれば十分なのだ。
2014年、アストン・ヴィラ戦後の記者会見で、彼は歴史に残る名言を残した。
「I prefer really not to speak. If I speak, I am in big trouble, in big trouble, and I don’t want to be in big trouble.」
(「本当は話したくない。話せば大きな問題になる。大きな問題になりたくない」)
この言葉はインターネットミームとなり、F1チャンピオンのマックス・フェルスタッペンまでが引用するほど有名になった。文法的に完璧でなくても、感情と意図が伝わる英語の力を示す好例である。
現代の学習者への教訓
モウリーニョの英語学習の旅から、私たちは何を学べるだろうか。
第一に、言語学習に「遅すぎる」はない。彼が本格的にスペイン語を学んだのは33歳、イタリア語を学んだのは45歳だった。学校での正式な語学教育を受けていないにもかかわらず、必要性と情熱によって6つの言語を習得した。
第二に、「完璧」より「コミュニケーション」を優先すべきである。モウリーニョは自分の英語を「完璧とは程遠い」と言いつつも、世界で最も注目される記者会見で堂々と発言し続けている。
第三に、言語学習は技術的な投資であり、人間関係への投資でもある。彼が選手の母国語を学ぶのは、単に指示を伝えるためではなく、「共感」と「信頼」を築くためである。
第四に、集中的な学習は可能である。「1ヶ月でスペイン語」「3週間でイタリア語」という彼の主張は誇張かもしれないが、1日5時間の集中学習を数週間続ければ、基本的なコミュニケーションは可能になるという事実を示している。
通訳から世界的監督へ——言葉が運命を変える
福沢諭吉が英語とオランダ語を学び、日本の近代化に貢献した。夏目漱石は英国留学で苦闘しながらも、日本文学に革命をもたらした。新渡戸稲造は完璧な英語で『武士道』を執筆し、日本の精神を世界に伝えた。
ジョゼ・モウリーニョもまた、言語学習を通じて運命を切り開いた先人の一人である。リスボン空港で「Hello Mister」と挨拶した29歳の体育教師は、英語という武器を手に、ポルト、チェルシー、インテル、レアル・マドリード、マンチェスター・ユナイテッド、ローマという世界最高峰のクラブを率い、25以上のトロフィーを獲得した。
「通訳」と蔑まれた男は、6つの言語を操り、「特別な存在」となった。
言語を学ぶことは、新しい世界への扉を開けることである。モウリーニョの物語は、その扉が私たち一人一人の前にも存在することを教えてくれる。
結論:言葉は可能性を広げる
モウリーニョの物語は、言語学習が単なるスキルの習得ではないことを示している。それは人生の可能性を拡張する行為である。彼は正式な語学教育を受けず、留学経験もなく、ただ「必要だから」「人とつながりたいから」という動機で6つの言語を習得した。
重要なのは、完璧さではなく、コミュニケーションへの意志である。モウリーニョは「完璧とは程遠い英語」で世界を魅了し、「3週間で学んだイタリア語」でセリエAを制覇した。
英語学習に苦しむすべての人に、彼の言葉を贈りたい。
「5つの言語を話せるからといって、私は通訳ではない。しかしコミュニケーションできることは、私にとって大きな助けになる」
言葉を学ぶことは、人生を学ぶことである。そして、始めるのに遅すぎることは決してない。


