英語には、必ず相手がいます。
英語は、試験のためでも、点数を取るためのものでもありません。
人とコミュニケーションを取り、気持ちを通わせるためのものです。
ところが、英語の勉強を続けているうちに、
その「相手」が見えなくなり、
英語はいつのまにか作業になっていきます。
だから、英語が苦しくなったのは、とても自然なことです。
本来、英語の学習は、
笑顔になるためのものです。
苦しんで耐えて、やっと報われるものではありません。
英語をやめるべきなのは、
「英語そのもの」ではなく、
「人」のいない英語の勉強です。
誰かと話したい。
つながりたい。
その気持ちを取り戻すと、
英語は、自然と身に付けられます。
外国人の仲間を探してみてください。
今の英語力のままで大丈夫です。
必要な英語は、その中で、あとから身についていきます。
英語には、なぜ「相手」が必要なのか
言葉は、本来、人と人のあいだに生まれるものです。
英語も例外ではありません。
誰かに伝えたいことがある。
返事をもらいたい。
わかり合えたらうれしい。
こうした感情があって、
英語は使われ、残っていきます。
相手がいない状態で英語を学び続けると、
言葉は意味を失い、
ただの知識や作業になってしまいます。
僕が英語を「勉強」していた頃の話
僕は、もともと学校の先生でした。
英語の先生になるために、英検2級を取りました。
当時は、
「英検2級レベルで、次はTOEIC800点くらい取れれば、
会話もリスニングも自然にできるようになるはずだ」
そう本気で思っていました。
だから、TOEICの勉強を始めました。
でも、やればやるほど、
英語が嫌になっていきました。
問題を解いても、
実際に話せる気はしない。
リスニングも、聞こえるようになっている実感がない。
TOEICの参考書は、
結局、数回開いただけでした。
英語は話せるようにならず、
勉強も、やめてしまいました。
英語が「作業」になっていた理由
今振り返ると、
そのときの英語には「相手」がいませんでした。
あったのは、
・点数
・正解
・目標スコア
英語は完全に「勉強」になっていて、
誰かと話すための言葉ではなくなっていました。
だから、
苦しくなったのだと思います。
イギリスに行っても、英語は勉強しなかった
その後、僕はイギリスに行きました。
でも、そこで英語の勉強を始めたわけではありません。
単語帳も開かなかったし、
文法書も読みませんでした。
それでも、数か月は1人で孤独の日々が続きましたが、
徐々にSNSを通じて知り合いができました。
人ができたら、英語に触れる機会が増えた
友達ができると、
自然とチャットをするようになりました。
相手の言っていることがわからないときは、
Googleで調べました。
自分が言いたいことも、
調べてから送信しました。
そこには、
「勉強しなきゃ」という義務感はありませんでした。
ただ、
伝えたいから調べる
返事をしたいから考える
それだけでした。
英語は「義務」ではなく「必要」になったとき身につく
そのときの英語は、
苦しくありませんでした。
点数も、
正解も、
評価もありません。
あったのは、
人とのやりとりだけです。
英語を「勉強」から「コミュニケーション」に
覚えてから使う必要はありません。
使うから、必要なものが見えてきます。
完璧じゃなくていい。
間違っていていい。
相手がいれば、
英語はちゃんと前に進みます。
外国人の仲間を見つけてみよう
英語をやり直そうとするなら、
まず「教材」ではなく、
人を探してみてください。
友達でも、
チャット相手でも、
フォロワーでもいい。
X
インスタ
Threads
などのSNSでもいいですし、
Hellotalkのようなランゲージエクスチェンジアプリでもいいです。
まずは自分から発信してみましょう。
今の英語力のままで大丈夫です。
英語をやめても、英語は消えない
僕は、
海外に行くまで気づきませんでした。
義務教育の時からずっと続けていた英語。
試験のため、就職・転職のため、自分のため。
こういう目的で英語を学んできて、その先に人が存在しませんでした。
コミュニケーションに焦点を当てれば本当に楽しくなりました。
難しい単語はいらない、ただ実際に使われる単語だけを学んでいく。
まずはコミュニケーションから。
試験のためはあとでいい。
それに気づかせてくれた人たちに感謝。
英語はもっと楽しくできる。
試験勉強すら、外国人の友達がいれば楽しくできる。
もし、英語学習のモチベーションが下がっていたとしたら、
「人」とのコミュニケーションのためにやっているか、
考えてみてください!

